【観光】ロンドン塔ガイド1〜ここだけは知っておきたい歴史をピンポイント解説!

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ロンドン塔は一番人気の観光スポット!

ロンドン塔(Tower of London)は、ロンドン市内で最も観光客が多く訪れるスポットです。その人気の理由は、イギリス王朝の光と闇を集めたような、ドラマティックな塔の歴史にあります。ロンドン塔へ行くなら、まずは簡単に歴史について知っておくと、より深く堪能できること間違いありません。

そこで今回は、ロンドン塔の歴史から「これだけは知っておくと、観光の楽しさが倍増する」という話をご紹介します。観光の前の予習として、また歴史好きな方ならおさらいとしてお役立てください。

約1000年の歴史を持つロンドン塔〜でも塔じゃない?

テムズ川の辺りに建つロンドン塔を目の当たりにすると、「塔=タワー」という名前のイメージとはかけ離れた印象を持つでしょう。塔というよりは周りをぐるりと城壁で囲まれた建物群で、高貴な人の居城でもあったのかと思わせられます。

ロンドン塔の全貌

ロンドン塔の全貌

出展 By © Hilarmont (Kempten), CC BY-SA 3.0 de, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=38250655

実際にイングランド王の居住地になったこともありますが、1070年にイギリス王室の祖・ウィリアム1世がロンドンを守る砦として造らせたのが始まりです。ちなみに征服王とも呼ばれるウィリアム一世はフランスのノルマンディー出身でした。そのため当初の王宮ではフランス語やフランス語なまりの英語が多く使われていたそうです。現在の王室であるウィンザー朝にはドイツ系の血が多く入っていますから、イギリス王室は本当に国際的、ヨーロッパ的ですよね。

ウィリアム一世の横顔を刻んだコイン

ウィリアム一世の横顔を刻んだコイン

出展 By PHGCOM – Own work, Public Domain, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=5987249

ロンドン塔の建物から歴史を垣間見る

ロンドン塔は、城とも屋敷ともつかない建物が集まっていて、それが城壁でつながったり、外堀に続く水門があったりと、混沌とした印象を受けます。初めて行くと迷いそうですが、基本的にはホワイト・タワーがほぼ中央にあり、13の塔(建物)に囲まれています。ここでは代表的な建物を2つをご紹介します。

■ホワイト・タワー

ロンドン塔を訪れたら、この建物の見学は欠かせません。ウィリアム1世がローマ時代の壁に沿って建てたのが、現在もロンドン塔の中心にどっしりとそびえるホワイトタワーです。このホワイト・タワーには、彼の故郷であるロルマンディから取り寄せた石灰岩が使われました。あまり凹凸がなく、重厚な四角い箱のような建物の様子からは、華やかさよりも堅牢さが感じられます。

ホワイト・タワー

出入り口が高い位置にあり、階段を上って入ります

ちなみに、入り口が高い位置にあるのは、敵に攻撃された際には木造の階段を壊して侵入させないようにするため。当時のノルマン建築による築城によくあるスタイルです。推測ですが、ロンドン塔はテムズ川のそばなので、もし氾濫しても水が浸入しにくい点も良かったのかもしれませんね。

■ブラッディ・タワー

その名もBloody Tower、’血塗られた塔’というおどろおどろしい名前の建物は、本来はガーデン・タワーと呼ばれていました。ヘンリー三世の時代、13世紀半ば頃に建築が始まったそうです。

ブラッディタワーという名前の由来にはいくつかの説があります。まず、1585年にこの中で自ら命を絶った第八代ノーサンバランド公爵ヘンリー・パーシーに由来しているというもの。さらに、後の【2大悲劇】で述べる2人の王子が幽閉されていたこと、また薔薇戦争で負けてここに幽閉され、謎の死を遂げたヘンリー6世に由来するものとも言われています。

ロンドン塔で繰り広げられた政治と愛のドラマ

ではいよいよ、数々のドラマを生み出したロンドン塔の囚人たちのお話です。政権が交代する際には血が流されるのが普通だった中世。今でこそノーブルな生まれは憧れですが、歴史を見ると、当時の王家なんかに生まれなくて良かった!と思うばかりです…(^^;)。

どんな人が収監されたの?待遇は?

一般の罪人から高貴な人まで、さまざまな囚人の牢獄として使われることの多かったロンドン塔。待遇はその囚人の階級や時の支配者との関係などでずいぶんと違ったようです。階級が高い人の中には、使用人をゾロゾロと引き連れて入り、専用の髪結師まで雇って優雅に暮らしていた人も。13世紀、イングランドとの戦いに破れて収監されたスコットランド王、ジョン・ベイリャルに至っては、時々狩りに出かけることも許されていたそうです。

しかしもちろん、私達の心に残るのはここで処刑されたり、失意のまま亡くなったりした悲劇の人々のストーリーです。有名なのは映画「ブーリン家の姉妹」でナタリー・ポートマンが演じたアン・ブーリンでしょうか。

アン・ブーリンは侍女の立場からヘンリー8世の寵愛を受け、後のエリザベス1世となる娘を出産するも、浮気をしたという罪で(心変わりしたヘンリー8世が濡れ衣を着せたと言われています)ロンドン塔に投獄されます。彼女は、ロンドン塔内で公式に処刑された1人でした。

そういえば、娘のエリザベス1世も異母姉のメアリーによって、数年間ロンドン塔に監禁されていました。彼女にとってロンドン塔は、囚人として門をくぐり、女王になるために解き放たれるという、地獄から天国への通過地点だったと言えます。

ロンドン塔は処刑場ではなかった?

実はほとんどの場合、ロンドン塔のすぐ外にあるタワー・ヒル(Tower Hill)で公開処刑されました。場所はロンドン塔からタワー・ヒル駅方面の大通りを渡ってすぐ、現在は戦没者記念碑(Tower Hill Memorial)が建っているあたりです。

タワー・ヒルの処刑場跡

出展 By Bryan MacKinnon – 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=11456738

ロンドン塔内で処刑されたのは、アン・ブーリンやキャサリン・ハワード、ジェーン・グレイなど王妃や女王であった人が多かったようです。彼女たちが散った場所は現在、ビーチャム・タワー前にScaffold Site(断頭台)として、2006年にイギリスのアーティストであるブライアン・キャトリングがデザインした記念碑が設置されています。

と、ここまではあくまで公式な話。実際のところ、ロンドン塔内では「原因不明」で亡くなった人がたくさんいます。投獄しただけでは飽き足らず、闇の手を伸ばして葬り去るという手段が横行していたんですね…(怖)。

【2大悲劇】ロンドン塔に散った16歳の女王と2人の王子

野心家として一時は王妃の座にまで上り詰めたアン・ブーリンの一生も悲しいものでしたが、罪なく幽閉され、ここで命を落とした若者たち3人の運命には涙を誘われます。まずは、儚い一生を送ったうら若き女王からご紹介しましょう。

◆9日間の女王 ジェーン・グレイ

ジェーン・グレイ

ジェーン・グレイ

出展 By anonymous – one or more third parties have made copyright claims against Wikimedia Commons in relation to the work from which this is sourced or a purely mechanical reproduction thereof. This may be due to recognition of the “sweat of the brow” doctrine, allowing works to be eligible for protection through skill and labour, and not purely by originality as is the case in the United States (where this website is hosted). These claims may or may not be valid in all jurisdictions.As such, use of this image in the jurisdiction of the claimant or other countries may be regarded as copyright infringement. Please see Commons:When to use the PD-Art tag for more information., Public Domain, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=2680115

イギリス王室最初の女王、ジェーン・グレイ(Lady Jane Grey)は1537年頃に誕生しました。母方の祖母はヘンリー8世の妹、自身はチューダー朝最初の王・ヘンリー7世の曾孫という、当時の王家につながる血筋の生まれです。しかし王位継承順位は低く、本来ならジェーンが女王になる可能性は非常に低かったのです。

ジェーンの先々代の王・ヘンリー8世は3人の子供(メアリー、エリザベス、エドワード)に王位継承権を与えていました。この3人は実際にその後全員が王位に着くのですが、最初に王位を継承したのはわずか9歳のエドワード6世。その幼さと病弱な体質から、必然的に野心家の家臣たちの傀儡となっていたようです。15歳で病没する前には、時の実力者だった側近ノーサンバランド公ジョン・ダドリーによって、16歳のジェーン・グレイを後継者に任命させられました。

とはいえエドワード6世自身にも、次に継承権のある異母姉でカトリック教徒であるメアリーより、同じプロテスタントのジェーン・グレイを後継者にしたいという思いもあったようです。メアリーが頑固に弟王からの改宗要請を拒否するなど、姉弟の仲が悪かったという話もあります。しかし、ジョン・ダドリーが息子のギルフォードとジェーン・グレイを結婚させていたことを考えると、ダドリーの思惑が大きかったことは想像に難くないですね。ダドリーにとっては、カトリックのメアリーが女王になれば、ヘンリー8世の元でプロテスタントへの宗教改革を推し進めていた自分の命が危なくなります。そのため、跡継ぎをジェーン・グレイと認めさせることは彼にとっては野心だけでなく、生死がかかった大問題だったのでしょう。

“女王”ジェーン・グレイの誕生、そして…

政治の世界では王や女王も手駒のひとつでしかない!?

1553年、エドワード6世が亡くなると、ダドリーはジェーン・グレイをロンドン塔に呼び寄せて彼女が新女王であると宣言します。しかし、この強引な新元首の誕生に、ダドリーの政敵だけでなく国民も反感を抱きました。支持者たちの助けを借りてロンドンから逃亡したメアリーもすぐに対抗し、自分が女王であると宣言します。ヘンリー8世に正式に2番目の後継者とされていた彼女の行動は民衆にも支持され、ダドリー一派はあえなく敗北。ジェーンも夫のギルフォードとともにロンドン塔に幽閉される身となりました。

ジェーン・グレイが仮にも女王であったのは、わずか9日間(仮というのは、エドワード6世の遺言に疑問を唱え、彼女の戴冠は無効であったという説があるため。実際、彼女はクイーンという称号付きやジェーン1世という呼び名ではなく、レディ・ジェーン・グレイと呼ばれています)。

名実ともに女王となったメアリー1世は、イギリスをカトリックに戻すべくプロテスタントへの弾圧を開始します。彼女はブラッディ・メアリーと呼ばれたほど容赦ない迫害者でしたが、ジェーン・グレイについては、処刑することまでは考えていなかったそうです。そのため、そのままであったら彼女は生き長らえ、いずれは恩赦されることもあったでしょう。

ところが間もなく、ジェーン・グレイの実父であるサフォーク公が中心人物の1人となって反乱(ワイアットの乱)を計画しました。彼が逮捕(その後処刑)された余波を受け、ジェーンと夫も処刑されることが決まります。下は処刑される寸前のジェーンを描いた有名な絵画ですが、後世の画家によるもので、実際の様子とはかなり違いがあるそうです。しかしそれでも、うら若き少女が過酷な運命に巻き込まれ、命を落とすという悲劇性が強調され、息が詰まるような迫力を感じますね。

「レディ・ジェーン・グレイの処刑」

出展 By 不明 – The National Gallery online, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=17589386

ちなみにこの絵画の本物は、ロンドンのナショナル・ギャラリーにあります。ロンドン塔からも地下鉄やバスで簡単に行けますので、こちらも訪れてみてはいかがでしょうか(注・修復や貸出中などで展示されていないこともありますので、事前に確認してください)。

ナショナル・ギャラリーのサイトはこちらです→The National Gallery

【ロンドン塔ではここをチェック】ジェーン・グレイの名前が刻まれている…!?

悲劇の女王、ジェーンを思って刻まれたといわれる「JANE」という刻印が、ビーチャム・タワー(Beauchamp Tower)で見られます。こちらには夫のギルフォードなど、ダドリー家の兄弟5人が収監されていました。

ギルフォードはジェーンに先駆けて処刑される前、最後にひと目彼女に会いたいと要望します。しかしジェーンはそれを断りました。理由は「今会っても、悲しみと惨めさを増長させるだけだから。間もなく、別の場所でまた会える時が来るので、その時まで待ちたい」とのこと。そんな彼女はギルフォードが処刑される際、引き出される夫の姿を窓から見て祈り続けたということです。

ジェーンの妹・キャサリンも身重の体でロンドン塔へ…

余談ですが、ジェーン・グレイの妹のキャサリンも、その後ドラマティックな運命を辿ります。実はジェーンとキャサリンの母親はメアリーと仲が良く、ジェーンが亡くなった後もキャサリンは宮廷で侍女として仕えていました。しかしメアリーからエリザベス1世に時代が変わった頃、キャサリンはエドワード・シーモアと恋に落ち、密かに結婚、妊娠します。この時代、彼女の立場で女王の許可なく結婚することは許されていませんでした。そしてエリザベス1世にとって、王位継承権のあるキャサリンが男児を産めば自分の立場が危うくなることから、彼女の結婚は絶対に許せないものだったのです。

極秘結婚がばれてしまったキャサリンとその夫は、別々にロンドン塔に投獄されました。キャサリンはそこで私生児として長男を産みます。そして協力者の手引きによって夫と密かに逢瀬を重ね、再び妊娠、次男を出産します。それを知ったエリザベス1世は彼女と次男を地方の屋敷へと移送。夫と長男と会える望みを絶たれたキャサリンは、28歳で失意のうちに病気で生涯を閉じました。

◆今もゴーストになってさまよっている!?悲劇の兄弟

ロンドン塔に幽閉されたプリンスたち

ロンドン塔のプリンスたち

出展 By John Everett Millais – http://allart.biz/photos/image/John_Everett_Millais_73_The_Princes_in_the_Tower.html, Public Domain, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=1736441

上の絵画で、まるで少女漫画の王子様のように美しく描かれている2人の少年たち、エドワードとリチャードも、政治闘争の犠牲になりました。兄であるエドワードは1470年にエドワード4世を父として誕生し、皇太子として育てられます。12歳の時、父王が急死したためエドワード5世になりましたが、戴冠前に父の弟であるグロースター公リチャードに王位を剥奪されます。グロースター公は、彼の両親の結婚は重婚のため無効であり、その息子たちは庶子であるとして王位継承権を剥奪したのです。そして少年たちをロンドン塔に幽閉し、自分がリチャード3世として国王の座につきました。

ロンドン塔のインナー・アパートメントに幽閉された王子たちは、初めこそ庭で遊ぶ姿が見られたものの、後に揃って行方不明になります。これは、叔父であるリチャード3世によって命を奪われたためという説が有力ですが、真実は今も分かっていません。遺骨についても同様で、彼らが姿を消した約200年後のロンドン塔の改修の際、階段裏から子どものものと思われる骨が見つかったため「王子たちではないか」と言われました。20世紀になってからその骨の検証が行われ、まさに兄弟が塔に収監された年齢と同じ、12歳と10歳ごろの子どもの骨であると立証されています。

ロンドン塔の幽霊になった!?

ロンドン塔には幽霊がいっぱい!?

ロンドン塔には、そこで命を落とした人々がゴーストになってさまよっているという噂があります。首のないアン・ブーリンや、ホワイト・タワーに現れるホワイト・レディなど数々の目撃談があります。王子たちについても同様で、ガウン姿の二人を見た、子どもが遊んでいる声を聞いたという話が跡を立ちません。21世紀の今でも彼らの魂がさまよっているのだとしたら、何とも切ない話ですね。

もっとロンドン塔の歴史を知りたいなら

ロンドン塔に関わる一人ひとりのストーリーを追っていくと、どれも悲しく切なく、残酷なものがほとんどです。今のイギリス王室の人気と華やかさの陰に、そこまでに至るすごい時代を生きていた人たちがいたんですね。

もっと知りたい方は→The story of the Tower of London (英語)

実際に行ってみよう!と思われる方は、下の記事で実際の行き方など具体的な情報をご紹介しますので、あわせて読んでみてください!

ロンドン塔ガイド3〜基本情報・行き方から注意事項まで詳細解説!

ロンドン塔ガイド2〜ここは外せない!みどころガイド5選(写真あり)

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