【エリザベス女王逝去】嫌われ者か、国母か。イギリスにとってどんな存在だったのか

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96歳のエリザベス女王が逝去

イギリス時間9月8日の夕方、かねて健康状態の悪化が報道されていたエリザベス女王が亡くなったというニュースが駆け巡りました。

↑BBCでは番組を変更して女王の追悼特集を流しました

亡くなる前日から、医師の指導によって女王の子供たち、孫たちが集められました。チャールズ皇太子夫妻、ウィリアム王子、それにヘンリー(ハリー)王子とメーガン・マーケル夫妻までが駆けつけ、女王の最後の時を見守りました。最後は静かに安らかに息を引き取られたとのことです。

※(9/9修正)当初、スポークスマンからロンドンに滞在しているハリーとメーガンが夫妻で駆けつけるという発表でしたが、実際に行ったのはハリーだけとのこと。

亡くなると同時に誕生した新王・チャールズ3世と、クイーン・コンソート(王配)のカミラ夫人は一晩女王に付き添い、翌日ロンドンに帰ることが発表されました。

最後の最後まで公務を果たしたエリザベス女王

亡くなるわずか2日前には、杖をつきながらも新首相リズ・トラスを静養先のスコットランドで笑顔で迎えていたエリザベス女王。

https://twitter.com/RoyalFamily/status/1567123856816496640
最後の公務の写真

イギリスでは新しい首相が決まると、王・女王に謁見して正式に任命されます。物価高と燃料・光熱費の高騰、人手不足と数多の苦難にあえぐイギリス国民のため、新しい首相をスムーズに任命できるよう、高齢の女王がこの日まで頑張っていたのでしょうか。

そう思わせられるほど、エリザベス女王は真剣に公務に人生を捧げた人でした。

彼女が任命した首相は15人。中にはウィンストン・チャーチル、マーガレット・サッチャー、トニー・ブレアなど時代の顔が並びます。

https://twitter.com/RoyalFamily/status/1567070232614785025

しかし、70年に及ぶ在位期間の間には国民から敵視されたり、イングランドの元首として、歴史的に遺恨のある国から恨まれたりしたこともあります。

なにより、世界中からアイドル的な人気を集めたダイアナ元皇太子妃への冷たい態度で、一気に王室への反感を買ってしまったこともありました。

しかし亡くなった今日、ロンドンのバッキンガム宮殿周辺は雨にも関わらず、大勢の人が入れ替わり立ち替わり花を捧げに訪れています。居城であったウィンザー城、亡くなった別荘のバルモラル城へも、たくさんの人が女王を偲んで訪れています。

反面、Twitterでは「女王とダイアナがあの世でバトルを始める」などと、心無い揶揄をしている投稿も見られます。

果たしてエリザベス女王は、国民に愛された人だったのか、それとも世界から嫌われた人だったのか。英国史上最長、世界でも2番めに長い期間を元首として過ごしたこの女性の人生を考えてみたいと思います。

26歳での戴冠式では国民が熱狂

25歳で二児の母だった時、ケニア外遊中に父王ジョージ6世が56歳の若さで逝去し、女王エリザベス2世が誕生します。翌年、ウェストミンスター寺院で戴冠式が行われました。

国民は若く美しい君主に熱狂したそうです。若きクイーンの人気は海外でも高く、外遊の際も大歓迎されている様子が映像で残っています。

女王は賢い女性であったのか

現在、女王の追悼メッセージがフランスやカナダ、アメリカ、インドなど各国から寄せられています。その中で「女王は賢く、ユーモアがあった」と多く語られています。しかし、本当にそうだったのでしょうか。

思いがけなく若い女王になったエリザベスですが、当時の貴族の娘としては普通だった、家庭での教育しか受けていませんでした。先生は名門イートン校から呼び寄せるなど一流だったものの、男性に与えられる帝王教育には及ばない内容だったようです。さらに、母親がお気楽なお嬢様気質だったので、あまり真剣に勉学する機会はなかったのかもしれませんね。

エリザベスは自分に「学がない」と悩み、女王になってからも自分なりに学習していたようです。「無知の知」という言葉があるように、自分が何も知らないと分かっている人は賢い、と言われます。少なくとも女王は、自分に知識が足りないことを知っているだけ、賢い人だったのかもしれませんね。

愛情やユーモアはあったのか

公務に真剣に取り組んでいる姿を見る限り、女王が真面目な性格だったことが伺えます。また、奔放な性格だった妹マーガレットを監督し、最初の真剣な交際相手であるピーター・タウンゼントとの結婚を認めないなど、家長としての責任感にも溢れていたことが分かります。

さらに、長男チャールズには厳しすぎるなど、責任感が強く古い貴族の慣習の影響を受けているせいか、愛情深い人だったという印象はありません。

個人的に印象深いのは、2005年のロンドンのテロで負傷した人を見舞った時の映像です。女王は手袋をして、ベッドから少し離れた場所に立って話していました。日本の平成天皇・皇后両陛下が、災害に見舞われた人を見舞う時、床に膝をついて素手で握手する姿を見てきた自分には、女王の対応は冷たく感じられました。また何かのイベントで子供と対面する時、隣にいたデビッド・ベッカムがスキンシップして優しく対応しているのに、女王は後ろでじっと見ているだけなど、あまり親しみやすい印象はありませんでした。

世界から非難されたダイアナ妃への仕打ち

若い時は女王をもてはやした国民でしたが、次第にその熱が冷めていきます。

そして長男のチャールズ皇太子が、可愛らしいダイアナ・スペンサーと婚約するや、国民の人気と関心は一重に彼女に注がれることになりました。

これが普通の幸せな結婚であれば、王室の支持率アップになったことでしょうが、ご存知の通り2人の間はうまくいきませんでした。カミラとの三角関係に、マスコミを巻き込んだ暴露合戦に発展していきます。

娘のアン王女や次男のアンドリューの結婚もうまくいかず、「生でソープオペラを見ているようだ」とまで言われた王室の品位と支持率は下がるばかりでした。1992年にはウィンザー城が火災で大損害を受けるという不幸にも見舞われ、苦悩したエリザベス女王は「アナス・ホリビリス(ひどい年)」と困難な年を表現しました。

決定的だったのは、離婚後のダイアナ妃がパリで亡くなった後の対応です。女王はこれに対しても冷たい態度を取ったとして、国民から一斉に避難を浴びます。

実際は、スコットランドのバルモラル城で孫のウィリアム・ヘンリー王子と過ごし、沈黙の中で家族を守ろうとしていたようなのですが…。

国民の意見を尊重する、開かれた王室への変換

国民からのさんざんなバッシングを受け、女王は故ダイアナ妃の国葬に立ち会い、自ら弔意を示すなど態度を軟化させます。夫のフィリップ王配は、亡き母の棺の後ろを歩くウィリアム・ヘンリー王子に寄り添いました。

おそらくこの頃から女王は、自分が真面目に公務に取り組んでいるだけでは国民の支持を得られないことに気づいたのではないでしょうか。妹マーガレットからの反発なども考慮したのかもしれません。王室のパブリシティの質はどんどん上がっていきます。

ロンドンオリンピックの開会式では女王自らがジェームズ・ボンド(ダニエル・クレイグ)と絡んでみたり、プラチナ・ジュビリーではくまのパディントンとお茶をして、バッグからサンドイッチを取り出してみたりと、茶目っ気たっぷりなところを見せるようになりました。

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さらに、ヘンリーメーガンに反逆されたり、息子のアンドリューのスキャンダル騒ぎがあったりと、家族のことで苦労している姿を見せられ、国民も同情を寄せ始めたようです。

何より、高齢になっても公務をおろそかにせず、文句も言わず、忙しく働き続けるその姿が尊敬され、次第に人々は女王への信頼を深めていったように思います。

トラブルメーカーの多い王室で、孫のウィリアム王子が「まともな人」として評価を高め、キャサリン妃と3人の子供とともに人気を集めているのも追い風になりました。

苦労を重ねて人格を高め、尊敬を集めるようになった人

https://twitter.com/charlotteukcity/status/1567931946600120327

昔は批判されることもあったエリザベス女王は、年を取るにつれて真の意味で国民から信頼され、愛されるようになった気がします。

それは、批判を受けたことを吸収し、家族に苦労をかけられても挫けず、柔軟な対応をとった女王の努力が実った結果なのではないでしょうか。

苦労の多い人生だったかもしれませんが、困難な運命から逃げず、真面目に生きた生涯は尊敬に値します。

最後まで公務を果たし、70年以上の長きに渡って国に尽くしたエリザベス女王の、ご冥福をお祈りいたします。

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