ヘンリーとメーガンはエリザベス女王の最後に立ち会えず
70年という長きにわたり、英国とコモンウェルスの女王であったエリザベス2世が亡くなりました。
静養先のスコットランド・バルモラル城では、長男のチャールズ皇太子夫妻や長女のアン王女などが枕頭に詰めていたそうです。次男アンドリュー王子、三男エドワード王子夫妻、そして孫のウィリアム王子は危篤の報を受け、空軍に用意された特別機で現地に向かいました。
チャリティ・イベントのためにロンドンに来ていたヘンリー(ハリー)王子とメーガン妃は、当初2人でエリザベス女王のもとに駆けつけると発表されました。しかし実際はメーガンが残り、ヘンリーはウィリアム王子たちの乗る飛行機に乗ることを拒否され、かなり遅れて自力でスコットランド入りしたのです。
メーガンが行かなかったことに関しては、チャールズ皇太子(現在の王チャールズ3世)がヘンリーに「彼女は来るべきでない」と拒否したそうです。
王室批判をしたメーガンを拒絶したようにも聞こえますが、実際は「近親の家族のみで集まりたい」という意思があったそう。なお、ウィリアム王子の妻キャサリン妃も、ちょうど子供たちが引越し先の新しい学校で新学期を迎えたばかりのタイミングだったので、現地には行っていません。
ヘンリーが王室用の飛行機に乗ることを許されなかった理由は?
自力でバルモラル城へ向かったため、他の王室メンバーより遅れて亡くなったエリザベス女王のもとに訪れたヘンリー王子。実は彼とメーガンは、生前の女王からバルモラル城へ招待されていたのだそうです。それを、「イギリス警察が警備を拒否したため」という理由で断ったのだとか。
実は、ヘンリーとメーガンは王室離脱にあたって、イギリス国内での警察からの警備が受けられなくなったことに抗議し、裁判で争っています。「費用は払うから警察の警備をつけろ」というのが彼らの主張だそう。しかし、公的機関の警察を私的に雇う形になるのはどうなのでしょうか。お金を払えば良いってものではないでしょうに…。
空軍が用意した専用機に乗れなかったのは、「王室を離脱した者を、公金で賄われる飛行機に乗せるわけにはいかない」ということだったのかもしれません。
自分がまいた種で、最後に女王に会えなかったヘンリー
10日、ウィリアム王子とキャサリン妃、ヘンリー王子とメーガン妃が、ウィンザー城前に4人揃って大衆の前に現れました。
こちらはウィリアム王子主導で実現したとのことです。チャールズ新王も王になって最初の公式声明でヘンリーとメーガンへの愛情を表しています。
実際の心の中はわかりませんが、王室としては彼らを「丁寧に礼儀正しく受け入れる」態度を貫く方針であることは間違いなさそうです。
しかしヘンリーとメーガンは、これにきちんと感謝しているのでしょうか?
8月に招待された時にバルモラル城へ行かなかった(行けなかった)ため、生前のエリザベス女王に会う最後の機会を逃したヘンリー王子。高齢のエリザベス女王にすれば、遠いアメリカへ移った孫がイギリスに来ている時くらい、顔を見たいと思われても不思議ではありません。色々と心配な孫に、かけたい言葉もあったでしょう。
ウィリアム王子(現・皇太子、プリンス・オブ・ウェールズ)はエリザベス女王逝去後の声明で「(祖母は)一番幸せな時に一緒にいてくれた。最も悲しい時も、そばにいてくれた」と語りました。最も悲しい時と言えば、母のダイアナ妃を失った頃のことと思われます。
同じ立場であったヘンリーにしても、「グラニー(おばあちゃん)」のエリザベス女王には感謝してもしきれないものがあるはずです。それなのに晩年は顔も見られず、亡くなった後も、他の家族より短い時間しかプライベートな時間を過ごせませんでした。
エリザベス女王が亡くなった日は誰よりも遅く到着し、12時間ほどの滞在の後に、誰よりも早く一人きりでその場を去ったヘンリー。彼の胸中には、どんな思いがうずまいていたのでしょうか。
個人的には(多くのイギリス国民もそうだと思いますが)、メーガンとともに晩年のエリザベス女王に多大な心痛を与えたことを、深く深く反省してほしいと思います…!
なお、今回「そういえばヘンリーとメーガンって、今どこでどうしてるんだっけ?」と思ったので、次の記事で彼らの最新情報をまとめました。よろしければ合わせてお読みください^^
【次の記事】【エリザベス女王逝去】ヘンリー・メーガンがイギリス王室と仲直り!?彼らの現在の年齢や家、子供は?