【ラスト・クリスマス】ジョージ・マイケルが最後を迎えた家(写真あり)

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クリスマスと言えばこの歌!

クリスマスが近づくと、毎年流れる定番の歌があります。

日本だと山下達郎の「クリスマス・イブ」とか、松任谷由実の「恋人はサンタクロース」、または竹内まりやの「すてきなホリデイ」などがありますね。

毎年あちこちで流れるので「もう飽きたよ〜」と言いつつ、ついつい口ずさんでしまう曲の数々…。

イギリスでも、日本でもお馴染みのマライア・キャリーの’All I Want For Christmas Is You’、そしてワム!の’Last Christmas’あたりは毎年流れています。

毎年のように新しいクリスマス・ソングが登場しますが、この中でも長く歌い継がれているものを名曲と呼ぶのでしょうね。

そんなクリスマスの名曲「ラスト・クリスマス」を作ったジョージ・マイケルについて、昨年、悲しいニュースがあったのを覚えていますか?

文字通り「ラスト・クリスマス」を迎えたジョージ

2016年12月25日、クリスマスのこの日、衝撃的なニュースがイギリス、そして世界を駆け巡りました。

ワム!の一員として一斉を風靡したシンガーソングライター、ジョージ・マイケルがオックスフォードシャーの自宅で冷たくなっているところを発見されたというニュースです。

まさに、彼にとっての最後のクリスマス(ラスト・クリスマス)で、最初に聞いた時は悪い冗談かと思ったものです。

第一発見者はボーイフレンドのファディ・ファワズ(Fadi Fawaz)さん。クリスマスのランチを一緒にする約束だったので、彼の家へ起こしに行って発見したそうです。

この時、ファディさんが「1時間くらい彼を起こそうとしているんだけど、彼は真っ青で冷たくなっているんだ」と切実に訴えている、救急車の電話オペレーターとの会話が後にリークされています。

それから2ヶ月ほど経って、ようやく心臓の疾患などによる自然死だったことがはっきりしましたが、何と言ってもまだ53歳という若さだったので、当初は事件性も疑われるなど大騒ぎになりました。

ジョージ・マイケルについて

ここで、ジョージ・マイケルってどんな人だったっけ?という方のために、簡単に経歴をまとめておきます。彼のことならよく知ってるよ!という方は飛ばしてくださいね。

まずは本名と生没年からですが、

George Michael Georgios Kyriacos Panayiotou (25 June 1963 – 25 December 2016)

出典;https://en.wikipedia.org/wiki/George_Michael

む、難しい!私にはとても読めません…。なんでも、彼はお父さんがギリシャ系キプロス人のレストラン経営者で、イングランドに移住してきたということなので、ギリシャ系の名前なんですね。日本語版のWikipediaによると、読み方は

イェオルイオス・キリアコス・パナイオトゥ

出典;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%82%A4%E3%82%B1%E3%83%AB

だそうです。やっぱり、読めない気がします…。

そんな彼は、学生時代に知り合ったアンドリュー・リッジリー(Andrew Ridgeley)と2人で1981年にワム!(Wham!)を結成。1986年に解散するまで、「ラスト・クリスマス」や’Wake Me Up Before You Go-Go’など、ヒット曲を連発しました。

ちなみに同時期のイギリスのポップスターには、デュラン・デュランカルチャークラブがいます。懐かしいですね(分かる世代の方だけ分かってください)!

ワム!の解散後はソロとして活動を続け、アルバム「フェイス」(Faith)などを世に出しています。2012年のロンドンオリンピック開会式でも元気にパフォーマンスしていました。この時は、まさか彼が4年後に亡くなるとは誰も思っていませんでしたよね…。

ジョージ・マイケルが亡くなった家はここ!

ジョージ・マイケルが亡くなった家があるのは、ゴーリング村Goring-on-Thames)。オックスフォードシャー南部の、テムズ川沿いにある閑静な村で、富裕層が庭に船着き場を作っているようなところです。

よくニュースやブログで映されるのはロンドンの高級住宅街にある自宅で、このゴーリングのコテージはおそらくセカンドハウスというか、隠れ家のようなものであったのではと思われます。

彼が世界中に何軒のプロパティを所有していたかは分かりませんが、この家はおそらくその中でも最も小さく、そして静かな環境にあったものではないでしょうか。

最後の時を、静かに過ごせたのは不幸中の幸いだったかもしれません。

私がこの家に行き当たったのは全くの偶然で、最近ウォーキングに訪れた際、何気なく入った教会近くの小道の先に’Greek God GM’という文字や、バナーで飾られている家が見え、近づいてみるとそれがジョージ・マイケルの亡くなった家だったのです。

ジョージ・マイケル最後の家

狙って訪れたわけではなかったのでびっくりしましたが、家の前にはファンから供えられた写真やメッセージ、花などがずらりと並んでおり、思わずこちらもしんみりとしてしまいました。

亡くなってから1年近く経った今でも、たくさんの人が追悼に訪れているんですね…。

ジョージ・マイケルが亡くなった家のドア

ジョージ・マイケルが亡くなった家のドア

家の裏側はこんな感じで、川に面しています

きちんと管理している人がいるのでしょう、家の前に供えてあるものは綺麗に整頓されていました。

スコットランドやウェールズなどの旗は、訪れたファンが、遠くからやって来たことを示すために飾ったのでしょうか。写真には映っていませんが、ジョージ・マイケルのルーツであるギリシャの国旗もありました。

たくさんのメッセージの内容には、どんなにジョージの歌が好きだったか、彼を崇拝していたかといった言葉、そしていくつもの’LOVE’という単語が並んでいました。

みんな、ジョージが大好きで、せめて最後の場所で祈りを捧げたくて、ここまでやって来たのでしょうね。

余談ですが、後日グラミー賞でジョージへのトリビュートとして’First Love’を歌ったアデルの映像にも、胸を打つものがあります。

歌いだしてすぐ、感極まったためか、思ったように歌えない自分に腹を立てたのか、歌をストップしてしまったアデル。

ライブでジョージ・マイケルと共演したこともある彼女には、胸に迫るものがあったのでしょう。しかし、すぐに仕切り直して、しっかりと歌いきったところは、さすがはイギリスきっての歌姫です。

その時の映像が観られる記事を紹介しますので、良かったらご覧ください。

アデルのジョージへのトリビュート

「ラスト・クリスマス」は永遠に

クリスマスという、運命的とも言える日に亡くなったジョージ・マイケル。

これからもクリスマスが近づくたび街に「ラスト・クリスマス」が流れ、それを聴いてたくさんの人が彼を思い出すのでしょうね。

いつまでも人の心に残る歌を作ることができて、アーティストとしては非常に幸せな一生でしたよね。
ジョージの一周忌には、ファンの人達と一緒に祈りたいと思います。

 

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